生徒が書いたIBのTOKレポート(theory of knowledge)が送られてきました。その中に、気になるところがありましたので、その一部を和訳引用させていただきます。(※本人の了承はいただいておりますが、TOKレポートの原文は、英語で書かれており、大変に長い文章です)。

「法実証主義は、法と道徳を区別しているために良法と悪法の区別がつかないという欠点が存在する。そこで、法実証主義と対照的な自然法に目を向けた。自然法によると法律と道徳は確かに関係性を持っていて、それらの道徳は、神などの道徳的権限から来るものである。そして、もし法が道徳に反する内容であれば、人々は、その法に反対することが可能である。(中略)法とは、社会が混乱に陥ることを恐れて人間が作ったものであり、それに従う義務が人にはある。すなわち、法に反対することなどもってのほかで、法に反対することができてもそれは法が直接自分の命を取ろうとしている時だけであるのだ。このようにして最終的には法は倫理と区別されるべきだという結論を出した。」(引用終わり)

そのとおりだと、納得する文章です。

そこからどのような問題点を導き出し、議論の核心とするかが、国際的な視野を持つ受験生とドメスティックな視野で生きている受験生の違いだと思います。

私達が暮らす世界には、無数の道徳やそこから導き出された法律によって暮らしている人が存在します。法は、それぞれの国のシステムに基づいて導き出されたものであり、それぞれに尊重されるべきであることは当然のことです。

しかし、それだけに国際社会にとっては、法というものが厄介なのです。

私達は、一般的に、暮らしている国の教育を受け、生活と教育の場で社会規範も学びます。当然に、それが一般常識となり常識と異なることは異文化となります。

異文化とは、そういうものです。

異文化を興味本位で捉えれば、海外旅行で経験するような驚きや戸惑い感動に変化をします。しかし、異文化を異文化として認めるのではなく、自分たちの文化と比較対象とすれば、ほとんどの場合に於いて異文化はおかしなものとなります。

法律もそのようなものです。海外旅行に出かけると、自然にその国の法律や一般常識に従うようになります。人には、自己防衛本能がありますので、そのようになるのです。

例えば、民主主義を標榜する日本の政治家であっても、北京の天安門広場の前で、中国の人たちを呼び止めて、天安門事件について「非民主的だと思いませんか」などと聞く人は皆無だと思います。消極的であっても、その国にはその国の法律や社会秩序があることを認める行動の一つです。北京国際空港のメインラウンジでは、しばらくネットが使えない状態が続いていた時期がありました。その後、ネットが再開されたのですが、航空券の二次元コードを読み取りネットのパスワードが発行されるようになりました。航空券には、氏名、生年月日などを含めたパスポートのデーターが入っていますので、ネットを利用する際には、ネットの利用者を特定できるようなシステムに変更されていました。中国では、グーグルやLINEは利用できませんが、VPNを利用すれば、使用可能となります。しかし、その前の段階でネット利用者が特定されてしまいますので、日本のように自由にネット検索を行うことは、自己の安全上に於いても慎むべきかもしれません。

タイでは、労働ビザを取得する際には、日本人は最も高い所得設定が求められます。タイでは、労働許可証の発行も国籍によっての差別を公然と行っています。観光の場合の無査証滞在許可も日本人は30日ですが韓国人は90日です。各国の法律は、その国独自のものであり、それを差別や理不尽と考えるのならば、その国に行かなければ良いだけのことです。

日本では、以前からの日韓の政治的対立が続いていますが、それを国家間対立と見るか、国民同士の対立と見るかは個人の自由です。但し、これらを議論する前に、議院内閣制と大統領制の違いを理解していなければなりません。

アメリカと韓国は、二院制、一院制の違いはありますが、トランプ大統領の行動を一例にとれば、大統領と日本の首相との違いや政治の在り方の違いを理解しやすいかもしれません。

タイは、世界のスタンダードから見れば、政治が後退しています。国会議員の過半数は選挙ではなく指名となりますので、本当の民主主義は遠ざかりました。では、何故そのような強硬な軍主導による政治が可能となるかは、タイでは、軍が強くなければ国が持たないことを、国民が漠然とかもしれませんが理解をしているからだと思います。

タイでは、テロは日常です。 ※タイニュースクリップ紙

http://www.newsclip.be/special/358/recent/%E3%83%86%E3%83%AD

タイでは、テロだけでなく、タクシン氏が首相であった時期には、領土問題から「カンボジアを爆撃する」と公言し、その後最近に至るまで断続的に戦闘が行われています。しかし、そのタクシン氏は、現在では、カンボジアの支配者であるフン・セン首相のアドバイザーを務めています。

現在、タイとカンボジアの関係が特に良くなった訳ではありません。隣国との関係は、そのように一般的な理解を超越した論理によるものであり、その溝を埋める特効薬はありません。あえて言えば、お互いの経済利益ではないでしょうか。

法律は外交に於いて力を及ぼす範囲はさほど大きくはありません。その理由は、国により解釈が異なるからです。

また、都合の良い翻訳をされる場合も少なくありません。

例えば、国連です。第二次世界大戦後、日本を占領したのは連合国軍です。連合国軍とは、国連のアライアンスによる軍隊です。よって、1945年10月の国際連合成立後に日本を占領した軍隊は、国連軍です。

朝鮮戦争を戦ったのも国連軍です。国連は、United Nations です。日本を占領したのは連合国軍であり、日本が国際連合と呼ぶのは、日本の都合による読み替えです。

それが、良いとか悪いではなく、解釈が異なるということです。

各国は、都合により国際間の問題を、恣意的に解釈を変更することがあるということです。

国際人は、それを乗り越えられる人だと定義したいと思います。

その定義を実行することは簡単です。多くの異なる文化や国々の友人を持ち、忌憚なく意見を交換し、友人として一緒に泣いたり笑ったりすれば良いことだと思います。

フランスの啓蒙思想家ボルテールの言葉を思い出します。

「I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it./私は、あなたの主張を認めることはできない。しかし、あなたが主張する権利を、私は命に掛けて守る。」ことが大事なのだと思います。

対立は、暴力や戦争という愚かな選択さえしなければ、お互いの妥協点、意見の相違を埋める努力の発端ともなります。

対立を恐れるのは、平和な日本人の素晴らしい姿です。しかし、世界は決して平和ではありません。平和を希求するならば、先ずは、友人づくりから草の根外交を進めなくてはなりません。 その、ベースとなるのが、留学生が多く在籍する大学生活です。