この度の新元号制定にあたっては、その出展を万葉集にとったと発表されました。

私は、この元号を日本の原点である大和朝廷時代、十七条の憲法に日本人のあるべき姿を現したい、見出したいとの思いが込められていると感じています。

もちろん、安倍首相や彼のキャビネットでは、お茶を濁した形で発表することを私たちが忖度し理解をするべきでしょう。

海外に住んでいると日本人老若男女が「日本だったらこうだよね」と思うことはしばしば起きる現象です。

日本人には、日本的な考え方や常識を一般化する傾向が顕著です。

よって、令に従って和を求める「令和」が新元号の制定にあたっての指針ともなったような気がしてなりません。

今回の新元号制定にあたっては、山中伸弥氏や林真理子氏などの若手の識者も関与しています。今までにない、現実的で合理的な元号設定に何らかの意見の寄与をしたことは確実でしょう。

国際化の中、日本では多文化を容認しなくてはならない現状があります。本日からは、外国人労働者の受け入れも変わります。大多数の日本人は、法律(令)を実直に守り生きています。それを行うことが生きてゆくうえで必要だとの理解がなされているからです。

聖徳太子が制定したとされる十七条の憲法の冒頭の「和をもって尊しとなす」は、日本人の精神的原点でもあり、日本が国家として成立する上で絶対に必要な憲法の原点でした。

よって、この精神は、大宝元年制定の大宝律令に引き継がれ、実質的に日本で初めての国を治めるための法律となりました。

法律は、守るべきものであり息苦しいと感じることは少なくありません。しかし、それが守られなければ国の安泰を守ることはできません。

令は勅令、命令など上から目線の言葉です。

しかし、それを守ることが社会で生きてゆくうえでの必要なことだとも感じています。

「日本人は排他的にならず令をもって和を期待され、同様に外国の人にも令を守り、和を尊んで下さい。」との意味も込められていると思われます。

平成という年号よりも、私自身は「令和」の方がしっくりと来たのは何故かなと考えました。結果、十七条の憲法をイメージし「令」ってなんだろう?例は法律そのものではないのかと思い至りました。

令によって和を追求する日本の今の形そのものが表現されているように思えてなりません。

また、この在り方は、日本人にとって受け入れやすい生き方の一つです。

命令、令が息苦しいお上からの「令」とならず、日本社会の意識や行動の向上が指針となることを期待しています。

それが一般常識となり世界から更に素晴らしい国と認められ、世界の平和の手本となる「令和時代」としたいものです。