私が仕事で韓国に行き始めた時期の韓国大統領は朴正煕(パクチョンヒ)大統領でした。
当時の私は、JTB(日本交通公社)の社員でしたので日々の業務のほか、添乗員として世界中を飛び回っていました。
今日は、そのころのお話から海外での過ごし方の一端を考えてみたいと思います。
私が中学生の頃には、世界地図にロシアはありません。ウクライナもバルト三国もソ連でした。それどころか、現在の中華人民共和国は、不正に中華民国(台湾)の領土を占拠している悪い国としての教育がされていました。
私は、そのような日本の公教育を受け、北朝鮮は中華人民共和国よりも他国の領土を不法占拠しないだけましな国だと思ったものです。
それが、ある日突然、中国は中国大陸を不法占拠していると学校で学んだ中華人民共和国であって、中華民国(台湾)とは国交断絶をすると日本政府が発表しました。
その時から、学校の教育は基礎でしかなく、常に社会に目を凝らしてアップデートさせる必要があると思うようになりました。
しかし、これから書くことは、過去を知っているから今もそれを教訓として海外での時間を過ごすというお話です。
格好良く言えば「温故知新」なお話です。
私が、韓国に行き始めたころは、韓国には戒厳令があり夜12時以降の外出は禁止されていました。もちろん、深夜にぶらぶらと外出すれば逮捕を覚悟しなくてはならない軍事政権下の韓国でした。
韓国では、自由な発言は公にはできない時代で、こんなエピソードを覚えています。
その旅行は、観光ではなくテクニカルビジットと称される視察で韓国を訪れた旅行でした。
ホテルに戻ったのは、現地の受け入れ先の方々との宴会もあり午後11時半過ぎだったと記憶しています。
ガイドさんは、何回かお世話になっていた男性のガイドさんで、今日は、ここに泊まるというのです。それも、「部屋でなくロビーで」と苦笑しながら。
12時過ぎには外に出られませんので送ってきた観光バスが去った今、彼は、タクシーで帰るしかありません。
しかし、11時半を過ぎると戒厳令のため、なかなか止まってくれません。止まってくれたとしても通常の何倍もの料金を請求されるのです。
その日の私の部屋はツインルームでした。「泊まったらどうですか」と誘うと遠慮をされていましたが、「シャワーだけ浴びさせてください」ということで部屋に案内をし、しばらく仕事以外のお話をさせていただきました。
私は、その際に戒厳令で外に出られないことのバカバカしさなど、軍事政権への批判的な言動をしてしまいました。
するとガイドさんが、顔をしかめて、口にチャックをするようなジェスチャーをするのです。その上に天井を指して、首を大きく振るのです。
あとで、話を聞いたところ、多くのホテルには盗聴器が仕掛けられていて最悪の場合、軍に踏み込まれて逮捕もあるというのです。
当時の韓国では、一般的な橋も軍事施設とみなされており、バスや列車の中からであっても橋が映り込むような写真を撮ることはできませんでした。
当然に、韓国内での行動には緊張感も必要でした。
そのような話題は70年代にはいくらでもありました。台湾(中華民国)では、産経新聞を除き朝日新聞などの新聞雑誌は持ち込むことができませんでした。ましてや、日本では普通に駅などで販売されていた女性のヌード写真が掲載されている雑誌などは「ご法度」。
フィリピンも韓国と同様に戒厳令が施行されており深夜1時以降の外出は禁止でした。
今では、笑って話せるようになりましたが、モスクワのホテルで電話をしていたところ、私が電話を切る前に「ガチャッ」と電話を切る音がした時には戦慄を覚えました。
モスクワオリンピックが開催された1980年の暮れにモスクワ経由のフライトで年末年始をヨーロッパで過ごそうと旅行に参加された方々とパリに向かいました。
今では考えられませんが、当時の飛行機は航続距離が短くヨーロッパに直行できません。
一般的には、東京から約7時間のフライトでアラスカのアンカレッジに到着し、給油後パリまで10時間のフライト、給油時間を入れると18-19時間もの時間を要したものです。
そのころのヨーロッパまでの最短ルートは、モスクワで給油し14時間程度でパリに到着するルートでした。
モスクワの空港ではジャンボ機のような大型機は受け入れていませんでしたので、通路が一本だけの当時の長距離機、現在では小型旅客機とされているB737、エアバスA320程度の機材で機内エンターテイメントは一切ありません。
ただし、飛行中の喫煙はOKでしたので煙草を吸わない方には最悪の環境であったと思います。
真冬のモスクワに到着し、給油の間はトランジットルームでしばし足を伸ばせると期待をしていました。
でも、その日の航空会社は日本航空。モスクワオリンピックをボイコットした日本の航空会社のためかターミナルから遠いところに駐機しドアは開いたものの外に出ることはできません。
給油中はエンジンが止まり、現在の飛行機には当然に装着されている補助動力装置もなくどんどん機内が冷えてゆくのです。
あまりの寒さに、前方ギャレーにいる客室乗務員に事情を聴きにドア迄進んだところ、ドアの前には機関銃を抱えたソ連兵が機内に向かって立っているのです。
私は、幸か不幸かそのような経験を重ねてきました。今でも、海外では自由に発言できない国が多いことは皆さんもご存じのとおりです。
しかし、そのような経験をしていなければ、ついつい日本と同様な行動や発言をしてしまうこともあると思います。
日本の法律では、おとり捜査の規定は特にないようですが、アメリカのように、おとり捜査費用が予算化されている国もあります。
ましてや、中国ではということです。
正義や法律は国々によって異なります。
日本の常識、法律、正義だけを拠り所として海外で過ごすことは危険性も伴います。
日本では政治的な発言を理由として社会から後ろ指を指されることは、ほとんどありません。しかし民主主義を標榜していても、公な言動がポピュリズムの壁によりできない国もあるのが現実です。
海外での言動や行動には、細心の注意が必要です。
同時に、伊藤忠社員の方の一日も早い解放を願ってやみません。